第2章 進化のしくみ

遺伝的浮動と中立進化
─ 「偶然」がつくる進化

進化は「強い者が生き残る」だけで起きるのでしょうか。
実は、生存に有利でも不利でもない変異が、ただの偶然によって集団中に広まることがあります。
この「偶然による進化」こそが、分子レベルの進化の主役です。

1遺伝子プールと遺伝子頻度 ─ 集団の「遺伝子の総目録」

進化を理解するには、個体ではなく集団に注目する必要があります。 ある集団に含まれる全個体のすべての対立遺伝子の集合を遺伝子プールといいます。 いわば、その集団がもっている「遺伝子の総目録」です。

遺伝子プールの中で、特定の対立遺伝子が占める割合を遺伝子頻度(対立遺伝子頻度)といいます。 たとえば、ある遺伝子座に対立遺伝子AとaがあるNO個体の集団で、Aが60%、aが40%を占めるなら、Aの遺伝子頻度は0.6、aの遺伝子頻度は0.4です。

進化とは、世代を経てこの遺伝子頻度が変化すること──遺伝子レベルで進化をとらえると、このように定義できます。

2遺伝的浮動 ─ サイコロが決める進化

前の記事(2-3)で学んだ自然選択は、有利な変異が広まるしくみでした。 では、有利でも不利でもない中立な変異はどうなるのでしょうか。

中立な対立遺伝子であっても、偶然によって世代を経るうちに頻度が増減します。 これを遺伝的浮動といいます。 サイコロを振るようなもので、特定の目が「強い」わけではないのに、たまたま何回も続けて出ることがある──それと同じ原理です。

集団サイズと浮動の大きさ

遺伝的浮動の影響は、集団が小さいほど大きくなります。 コインを10回投げれば表が7回出ることもありますが、10,000回投げればほぼ50%に落ち着きます。 同じように、小さな集団では偶然の影響が大きく、遺伝子頻度が大きく変動します。 大きな集団では偶然の影響は小さくなり、遺伝子頻度は安定します。

固定と消失

遺伝的浮動が長期間続くと、ある対立遺伝子の頻度が1(100%)になることがあります。 これを固定といいます。 固定が起きると、もう一方の対立遺伝子は集団から完全に消えます。 小さな集団ほど、この固定が起きやすくなります。

小さな集団ほど遺伝的浮動の影響が大きいのか
次世代に遺伝子を伝える個体は、集団全体の一部(標本)にすぎない
標本が小さいほど、偶然のばらつき(サンプリングエラー)が大きくなる
偶然で特定の遺伝子をもつ個体がたまたま多く生き残ることがある
その結果、遺伝子頻度が世代ごとに大きく変動し、固定や消失が起きやすくなる

ボトルネック効果と創始者効果

集団が一時的に非常に小さくなるとき、遺伝的浮動の影響はとくに顕著になります。

  • ボトルネック効果:自然災害や疫病などで集団サイズが急減すると、生き残った少数の個体の遺伝子構成が次世代の遺伝子プールを決める。もとの集団の遺伝的多様性が大幅に失われる
  • 創始者効果:少数の個体が新しい場所に移住して集団を形成すると、もとの集団とは異なる遺伝子頻度をもつ集団が生まれる
ポイント:自然選択と遺伝的浮動の比較
  • 自然選択:有利な変異が広まる。方向性がある。集団サイズによらず働く
  • 遺伝的浮動:中立な変異が偶然で増減する。方向性はない。小さな集団で影響大
  • 実際の進化は、自然選択と遺伝的浮動の両方で起きている

3分子進化の中立説 ─ 進化の「静かな主役」

1968年、日本の遺伝学者木村資生(きむらもとお)は、DNAやタンパク質の分子レベルで起きる進化の大部分は自然選択ではなく、中立な突然変異の遺伝的浮動による固定であるとする分子進化の中立説を提唱しました。

つまり、分子レベルの進化の「主役」は自然選択ではなく偶然だというのです。 この考えは当初は大きな論争を呼びましたが、その後の膨大な分子データにより広く支持されるようになりました。

発展:中立説を支持する根拠 生物

①コドンの3番目の塩基(同義置換が起きやすい位置)は、1番目・2番目に比べて進化速度が速い。もし自然選択が主役なら、同義置換も非同義置換も同じ速度で起きるはずである。②異なるタンパク質間でアミノ酸置換速度を比較すると、機能的に重要なタンパク質(ヒストンなど)ほど進化速度が遅く、重要でないタンパク質ほど速い。これは「機能的制約が少ない部位ほど中立な変異が蓄積しやすい」と解釈でき、中立説と整合する。

4ハーディ・ワインベルグの法則 ─ 「進化しない条件」

進化が起きるしくみを理解するには、逆に「進化が起きない条件」を知ることが役立ちます。 それがハーディ・ワインベルグの法則です。

進化が起きない5つの条件

以下の5つの条件がすべて満たされるとき、遺伝子頻度は世代を経ても変化しません(ハーディ・ワインベルグ平衡)。

  1. 集団が十分に大きい(遺伝的浮動が無視できる)
  2. 自然選択が働かない(適応度に差がない)
  3. 突然変異が起きない
  4. 他の集団との移入・移出がない
  5. 任意交配(ランダムな交配)が行われる

現実にこの5条件がすべて満たされることはまずありません。 つまり、実際の集団では常に何らかの進化が起きているということです。 この法則は、「どの条件が崩れたときに、どのような進化が起きるか」を考えるための基準点として重要です。

ハーディ・ワインベルグの式

対立遺伝子Aの頻度をp、aの頻度をq(p + q = 1)とすると、ハーディ・ワインベルグ平衡における遺伝子型の頻度は次の式で表されます。

AA : Aa : aa = p2 : 2pq : q2

ポイント:ハーディ・ワインベルグの法則の使い方
  • この式を使うと、遺伝子頻度から遺伝子型の頻度を計算できる
  • 逆に、表現型の頻度から遺伝子頻度を求めることもできる
  • 入試では「aaの個体が全体のx%」→「q2 = x/100」→「q = √(x/100)」→「p = 1 - q」の流れで出題される

5この章を俯瞰する ─ 進化の2つのエンジン

進化には2つの「エンジン」があります。 環境に適した形質を広める自然選択(方向性のある進化)と、偶然によって中立な変異が増減する遺伝的浮動(方向性のない進化)です。 形態レベルの進化は自然選択が主役ですが、分子レベルの進化は遺伝的浮動が主役です。

この章と他の章のつながり

他の章へのつながりマップ

  • 種分化 → 2-5「種分化」:遺伝的浮動は地理的隔離された小集団で特に強く働き、種分化を促進する。
  • 分子時計 → 2-6「分子進化と分子時計」:中立な変異が一定の速度で蓄積する性質を利用して、種の分岐年代を推定する。
  • 生態系 → 13-4「生物多様性と保全」:絶滅危惧種ではボトルネック効果により遺伝的多様性が失われていることが保全上の問題となる。

6まとめ

  • 遺伝子プール=集団の全個体がもつ対立遺伝子の集合。遺伝子頻度=特定の対立遺伝子が占める割合
  • 遺伝的浮動:中立な対立遺伝子の頻度が偶然によって変動する現象。小さな集団ほど影響大
  • ボトルネック効果:集団の急減で遺伝的多様性が失われる。創始者効果:少数の移住者が新集団の遺伝子プールを決める
  • 分子進化の中立説(木村資生):分子レベルの進化の大部分は中立な変異の遺伝的浮動による
  • ハーディ・ワインベルグの法則:5条件(大集団・選択なし・変異なし・移入なし・任意交配)が満たされれば遺伝子頻度は変化しない
  • 遺伝子型頻度の式:AA : Aa : aa = p2 : 2pq : q2

7確認テスト

この節で学んだ基本事項を確認しましょう。

Q1

「遺伝的浮動」とは何か。「偶然」「中立」の2語を用いて説明せよ。

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解答

中立な対立遺伝子の頻度が、偶然によって世代を経るうちに増減する現象のことです。自然選択とは異なり方向性はなく、集団が小さいほど影響が大きくなります。

Q2

ハーディ・ワインベルグの法則が成り立つ5つの条件を挙げよ。

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解答

①集団が十分に大きい、②自然選択が働かない、③突然変異が起きない、④他の集団との移入・移出がない、⑤任意交配が行われる。現実にはこの5条件がすべて満たされることはほぼないため、実際の集団では常に進化が起きています。

Q3

「ボトルネック効果」と「創始者効果」の違いを簡潔に述べよ。

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解答

ボトルネック効果は災害等で集団が急減することで遺伝的多様性が失われる現象。創始者効果は少数の個体が新しい場所に移住して新集団をつくることで、もとの集団とは異なる遺伝子頻度の集団が生まれる現象です。

8入試問題演習

この節で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

2-4-1A 基礎知識穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。

ある集団に含まれる全個体の対立遺伝子の集合を( ア )という。特定の対立遺伝子が占める割合を( イ )という。中立な対立遺伝子の( イ )が偶然によって変動する現象を( ウ )という。( ウ )の影響は集団が( エ )ほど大きくなる。DNAやタンパク質の分子レベルの進化の大部分は中立な変異の( ウ )による固定であるという考えを( オ )という。

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解答

ア:遺伝子プール イ:遺伝子頻度 ウ:遺伝的浮動 エ:小さい オ:分子進化の中立説

解説

遺伝的浮動は「偶然による遺伝子頻度の変動」です。自然選択と異なり方向性がなく、集団が小さいほど影響が大きくなります。分子進化の中立説は木村資生が提唱しました。

B 標準レベル

2-4-2B 標準計算

ハーディ・ワインベルグの法則に関する次の問いに答えよ。

ある大きな集団で、劣性ホモ(aa)の個体が全体の9%を占めている。この集団がハーディ・ワインベルグ平衡にあるとして、以下を求めよ。

(1) 対立遺伝子aの遺伝子頻度qを求めよ。

(2) 対立遺伝子Aの遺伝子頻度pを求めよ。

(3) ヘテロ接合(Aa)の個体の割合を求めよ。

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解答

(1) q2 = 0.09 より q = √0.09 = 0.3

(2) p = 1 − q = 1 − 0.3 = 0.7

(3) 2pq = 2 × 0.7 × 0.3 = 0.42(42%)

解説

ハーディ・ワインベルグの式 AA:Aa:aa = p2:2pq:q2 を使います。aaの割合 = q2 = 0.09 なので、q = 0.3。p + q = 1 なので p = 0.7。ヘテロ接合Aaの割合 = 2pq = 2 × 0.7 × 0.3 = 0.42。つまりこの集団では、劣性形質は9%しか現れませんが、保因者(ヘテロ接合)は42%もいることになります。

C 発展レベル

2-4-3C 発展実験考察論述

次の文を読み、あとの問いに答えよ。

ある島に200個体からなるトカゲの集団が生息していた。大規模な台風によって集団サイズが10個体にまで減少し、その後集団サイズは回復した。台風前と台風後(回復後)の集団について、ある遺伝子座の対立遺伝子の頻度を調べたところ、以下の結果が得られた。

対立遺伝子A対立遺伝子B対立遺伝子C
台風前(200個体)0.500.300.20
台風後(回復後)0.700.300.00

(1) 台風後に対立遺伝子Cが消失した原因として考えられるしくみを、用語を示して30字以内で述べよ。

(2) このしくみが小さな集団で影響が大きくなる理由を40字以内で述べよ。

(3) このような遺伝的多様性の喪失が、集団の長期的な存続にとって問題となる理由を50字以内で述べよ。

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解答

(1) ボトルネック効果による遺伝的浮動で対立遺伝子Cが消失した。(29字)

(2) 集団が小さいほど偶然による標本誤差が大きくなり、遺伝子頻度が大きく変動するから。(39字)

(3) 遺伝的多様性が低下すると、環境変化や病原体に対して集団全体が脆弱になり、絶滅リスクが高まるから。(48字)

解説

(1) 台風による集団サイズの急減(200→10個体)はボトルネック効果の典型例です。生き残った10個体の中にたまたま対立遺伝子Cをもつ個体がいなかった(またはごく少数だった)ため、Cが消失しました。

(2) これはコインの例で考えると理解しやすいです。コインを100回投げればほぼ50%に収束しますが、10回しか投げなければ大きくぶれます。遺伝子の「標本」が少ないほど、偶然のばらつきが大きくなるのです。

(3) 生物多様性の保全(13-4参照)の文脈でも重要な問題です。絶滅危惧種の多くはボトルネックを経験しており、遺伝的多様性の回復が保全の大きな課題になっています。

採点ポイント((3)の論述・6点満点の場合)
  • 遺伝的多様性の低下に言及(2点)
  • 環境変化への脆弱性に言及(2点)
  • 絶滅リスクの増大に言及(2点)