進化は「強い者が生き残る」だけで起きるのでしょうか。
実は、生存に有利でも不利でもない変異が、ただの偶然によって集団中に広まることがあります。
この「偶然による進化」こそが、分子レベルの進化の主役です。
進化を理解するには、個体ではなく集団に注目する必要があります。 ある集団に含まれる全個体のすべての対立遺伝子の集合を遺伝子プールといいます。 いわば、その集団がもっている「遺伝子の総目録」です。
遺伝子プールの中で、特定の対立遺伝子が占める割合を遺伝子頻度(対立遺伝子頻度)といいます。 たとえば、ある遺伝子座に対立遺伝子AとaがあるNO個体の集団で、Aが60%、aが40%を占めるなら、Aの遺伝子頻度は0.6、aの遺伝子頻度は0.4です。
進化とは、世代を経てこの遺伝子頻度が変化すること──遺伝子レベルで進化をとらえると、このように定義できます。
前の記事(2-3)で学んだ自然選択は、有利な変異が広まるしくみでした。 では、有利でも不利でもない中立な変異はどうなるのでしょうか。
中立な対立遺伝子であっても、偶然によって世代を経るうちに頻度が増減します。 これを遺伝的浮動といいます。 サイコロを振るようなもので、特定の目が「強い」わけではないのに、たまたま何回も続けて出ることがある──それと同じ原理です。
遺伝的浮動の影響は、集団が小さいほど大きくなります。 コインを10回投げれば表が7回出ることもありますが、10,000回投げればほぼ50%に落ち着きます。 同じように、小さな集団では偶然の影響が大きく、遺伝子頻度が大きく変動します。 大きな集団では偶然の影響は小さくなり、遺伝子頻度は安定します。
遺伝的浮動が長期間続くと、ある対立遺伝子の頻度が1(100%)になることがあります。 これを固定といいます。 固定が起きると、もう一方の対立遺伝子は集団から完全に消えます。 小さな集団ほど、この固定が起きやすくなります。
集団が一時的に非常に小さくなるとき、遺伝的浮動の影響はとくに顕著になります。
1968年、日本の遺伝学者木村資生(きむらもとお)は、DNAやタンパク質の分子レベルで起きる進化の大部分は自然選択ではなく、中立な突然変異の遺伝的浮動による固定であるとする分子進化の中立説を提唱しました。
つまり、分子レベルの進化の「主役」は自然選択ではなく偶然だというのです。 この考えは当初は大きな論争を呼びましたが、その後の膨大な分子データにより広く支持されるようになりました。
①コドンの3番目の塩基(同義置換が起きやすい位置)は、1番目・2番目に比べて進化速度が速い。もし自然選択が主役なら、同義置換も非同義置換も同じ速度で起きるはずである。②異なるタンパク質間でアミノ酸置換速度を比較すると、機能的に重要なタンパク質(ヒストンなど)ほど進化速度が遅く、重要でないタンパク質ほど速い。これは「機能的制約が少ない部位ほど中立な変異が蓄積しやすい」と解釈でき、中立説と整合する。
進化が起きるしくみを理解するには、逆に「進化が起きない条件」を知ることが役立ちます。 それがハーディ・ワインベルグの法則です。
以下の5つの条件がすべて満たされるとき、遺伝子頻度は世代を経ても変化しません(ハーディ・ワインベルグ平衡)。
現実にこの5条件がすべて満たされることはまずありません。 つまり、実際の集団では常に何らかの進化が起きているということです。 この法則は、「どの条件が崩れたときに、どのような進化が起きるか」を考えるための基準点として重要です。
対立遺伝子Aの頻度をp、aの頻度をq(p + q = 1)とすると、ハーディ・ワインベルグ平衡における遺伝子型の頻度は次の式で表されます。
AA : Aa : aa = p2 : 2pq : q2
進化には2つの「エンジン」があります。 環境に適した形質を広める自然選択(方向性のある進化)と、偶然によって中立な変異が増減する遺伝的浮動(方向性のない進化)です。 形態レベルの進化は自然選択が主役ですが、分子レベルの進化は遺伝的浮動が主役です。
この節で学んだ基本事項を確認しましょう。
「遺伝的浮動」とは何か。「偶然」「中立」の2語を用いて説明せよ。
中立な対立遺伝子の頻度が、偶然によって世代を経るうちに増減する現象のことです。自然選択とは異なり方向性はなく、集団が小さいほど影響が大きくなります。
ハーディ・ワインベルグの法則が成り立つ5つの条件を挙げよ。
①集団が十分に大きい、②自然選択が働かない、③突然変異が起きない、④他の集団との移入・移出がない、⑤任意交配が行われる。現実にはこの5条件がすべて満たされることはほぼないため、実際の集団では常に進化が起きています。
「ボトルネック効果」と「創始者効果」の違いを簡潔に述べよ。
ボトルネック効果は災害等で集団が急減することで遺伝的多様性が失われる現象。創始者効果は少数の個体が新しい場所に移住して新集団をつくることで、もとの集団とは異なる遺伝子頻度の集団が生まれる現象です。
この節で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。
ある集団に含まれる全個体の対立遺伝子の集合を( ア )という。特定の対立遺伝子が占める割合を( イ )という。中立な対立遺伝子の( イ )が偶然によって変動する現象を( ウ )という。( ウ )の影響は集団が( エ )ほど大きくなる。DNAやタンパク質の分子レベルの進化の大部分は中立な変異の( ウ )による固定であるという考えを( オ )という。
ア:遺伝子プール イ:遺伝子頻度 ウ:遺伝的浮動 エ:小さい オ:分子進化の中立説
遺伝的浮動は「偶然による遺伝子頻度の変動」です。自然選択と異なり方向性がなく、集団が小さいほど影響が大きくなります。分子進化の中立説は木村資生が提唱しました。
ハーディ・ワインベルグの法則に関する次の問いに答えよ。
ある大きな集団で、劣性ホモ(aa)の個体が全体の9%を占めている。この集団がハーディ・ワインベルグ平衡にあるとして、以下を求めよ。
(1) 対立遺伝子aの遺伝子頻度qを求めよ。
(2) 対立遺伝子Aの遺伝子頻度pを求めよ。
(3) ヘテロ接合(Aa)の個体の割合を求めよ。
(1) q2 = 0.09 より q = √0.09 = 0.3
(2) p = 1 − q = 1 − 0.3 = 0.7
(3) 2pq = 2 × 0.7 × 0.3 = 0.42(42%)
ハーディ・ワインベルグの式 AA:Aa:aa = p2:2pq:q2 を使います。aaの割合 = q2 = 0.09 なので、q = 0.3。p + q = 1 なので p = 0.7。ヘテロ接合Aaの割合 = 2pq = 2 × 0.7 × 0.3 = 0.42。つまりこの集団では、劣性形質は9%しか現れませんが、保因者(ヘテロ接合)は42%もいることになります。
次の文を読み、あとの問いに答えよ。
ある島に200個体からなるトカゲの集団が生息していた。大規模な台風によって集団サイズが10個体にまで減少し、その後集団サイズは回復した。台風前と台風後(回復後)の集団について、ある遺伝子座の対立遺伝子の頻度を調べたところ、以下の結果が得られた。
| 対立遺伝子A | 対立遺伝子B | 対立遺伝子C | |
|---|---|---|---|
| 台風前(200個体) | 0.50 | 0.30 | 0.20 |
| 台風後(回復後) | 0.70 | 0.30 | 0.00 |
(1) 台風後に対立遺伝子Cが消失した原因として考えられるしくみを、用語を示して30字以内で述べよ。
(2) このしくみが小さな集団で影響が大きくなる理由を40字以内で述べよ。
(3) このような遺伝的多様性の喪失が、集団の長期的な存続にとって問題となる理由を50字以内で述べよ。
(1) ボトルネック効果による遺伝的浮動で対立遺伝子Cが消失した。(29字)
(2) 集団が小さいほど偶然による標本誤差が大きくなり、遺伝子頻度が大きく変動するから。(39字)
(3) 遺伝的多様性が低下すると、環境変化や病原体に対して集団全体が脆弱になり、絶滅リスクが高まるから。(48字)
(1) 台風による集団サイズの急減(200→10個体)はボトルネック効果の典型例です。生き残った10個体の中にたまたま対立遺伝子Cをもつ個体がいなかった(またはごく少数だった)ため、Cが消失しました。
(2) これはコインの例で考えると理解しやすいです。コインを100回投げればほぼ50%に収束しますが、10回しか投げなければ大きくぶれます。遺伝子の「標本」が少ないほど、偶然のばらつきが大きくなるのです。
(3) 生物多様性の保全(13-4参照)の文脈でも重要な問題です。絶滅危惧種の多くはボトルネックを経験しており、遺伝的多様性の回復が保全の大きな課題になっています。