解糖系とクエン酸回路で直接つくられるATPはわずか4分子。
では残りの34分子は?──その答えが、ミトコンドリア内膜で行われる「電子伝達系」です。
ここでは、NADHとFADH₂に蓄えられたエネルギーが、水力発電のようなしくみでATPに変換されます。
電子伝達系は、呼吸の第3段階であり、ミトコンドリアの内膜(クリステ)で行われます。 解糖系とクエン酸回路で生成されたNADHとFADH2が、ここでATP合成のエネルギー源として利用されます。
電子伝達系では、NADHとFADH2から放出された電子が、内膜に埋め込まれた複数のタンパク質複合体を次々と受け渡されていきます。 まるでバケツリレーのように電子が「伝達」されるので、「電子伝達系」と呼ばれます。
最終的に、電子は酸素(O2)に渡され、H+と結合して水(H2O)になります。 これが「呼吸に酸素が必要な理由」です──酸素は電子伝達系の最終的な電子受容体なのです。
電子が伝達される過程で放出されるエネルギーは、H+(水素イオン)をマトリックスから膜間腔へくみ出すのに使われます。 その結果、膜間腔側にH+が高濃度にたまり、マトリックス側との間にH+濃度勾配(プロトン勾配)が形成されます。
このH+の濃度勾配は、ダムの上流と下流の水位差にたとえることができます。 たまったH+が濃度勾配に従ってATP合成酵素を通ってマトリックスに戻るとき、そのエネルギーでATPが合成されます。 ダムの水が落ちる力でタービンを回して発電するのと同じ原理です。
このしくみを化学浸透(化学浸透説、ミッチェルが提唱)といい、この方法でのATP合成を酸化的リン酸化といいます。
ATP合成酵素はF0部分(H+の通り道、内膜に埋まった回転部分)とF1部分(ATP合成の触媒部位、マトリックス側に突き出た部分)からなります。H+がF0を通過するとき、F0の一部が物理的に回転し、その回転がF1の構造変化を引き起こしてADPとリン酸からATPが合成されます。つまりATP合成酵素は、H+の流れで回転する「分子モーター」なのです。この回転は実験的にも確認されています。
| 段階 | 反応の場 | ATP | NADH | FADH2 |
|---|---|---|---|---|
| 解糖系 | 細胞質基質 | 2 | 2 | 0 |
| ピルビン酸→アセチルCoA | マトリックス | 0 | 2 | 0 |
| クエン酸回路 | マトリックス | 2 | 6 | 2 |
| 電子伝達系 | 内膜 | 最大34 | ─ | ─ |
| 合計 | 最大38 |
電子伝達系のATP合成数の内訳:NADH 10分子 × 約3 ATP = 30 ATP、FADH2 2分子 × 約2 ATP = 4 ATP、合計最大34 ATP。 これに解糖系(2 ATP)とクエン酸回路(2 ATP)を加えて、最大38 ATPがグルコース1分子から得られます。
生物がどの有機物を呼吸基質として使っているかは、呼吸商(RQ:respiratory quotient)で推定できます。 呼吸商は次の式で求めます。
RQ = CO2排出量 / O2消費量
| 呼吸基質 | 呼吸商(RQ) |
|---|---|
| グルコース(糖質) | 1.0 |
| 脂肪 | 約0.7 |
| タンパク質 | 約0.8 |
グルコースのRQが1.0なのは、C6H12O6 + 6O2 → 6CO2 + 6H2O より、CO2とO2の体積比が6:6=1.0だからです。 脂肪は水素の割合が多いため、完全に酸化するのにより多くの酸素を必要とし、RQは小さくなります。
呼吸基質はグルコースだけではありません。 脂肪はβ酸化という反応で脂肪酸が分解され、アセチルCoAとなってクエン酸回路に入ります。 脂肪は同じ質量のグルコースの約2倍のATPを生み出すため、効率のよいエネルギー貯蔵物質です。
タンパク質は脱アミノ反応(アミノ基が外れる反応)によってアミノ酸から有機酸に変換され、ピルビン酸やクエン酸回路の中間体として呼吸に利用されます。 タンパク質は通常、糖質や脂肪が不足したときに呼吸基質として使われます。
この節で学んだ基本事項を確認しましょう。
電子伝達系でATPが合成されるしくみを、「H⁺濃度勾配」「ATP合成酵素」の語を用いて説明せよ。
電子伝達のエネルギーでH⁺が膜間腔にくみ出されてH⁺濃度勾配が形成され、H⁺がATP合成酵素を通ってマトリックスに戻るときにATPが合成される。
呼吸で酸素が必要なのはどの段階か。酸素の役割を答えよ。
電子伝達系。酸素は電子伝達系の最終的な電子受容体として働き、電子とH⁺を受け取って水(H₂O)になる。
グルコース1分子あたり、呼吸全体で合成されるATPの最大数と、そのうち電子伝達系で合成される数を答えよ。
呼吸全体で最大38 ATP。そのうち電子伝達系で最大34 ATP(全体の約90%)。残りの4 ATPは解糖系(2)とクエン酸回路(2)で直接合成される。
この節で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。
電子伝達系は( ア )で行われる。NADHやFADH2から放出された電子が次々と受け渡される過程で、( イ )が膜間腔にくみ出され、( イ )の( ウ )が形成される。( イ )が( エ )を通ってマトリックスに戻るとき、ATPが合成される。電子の最終的な受容体は( オ )であり、水が生成される。
ア:ミトコンドリアの内膜 イ:H+(水素イオン) ウ:濃度勾配 エ:ATP合成酵素 オ:酸素(O2)
電子伝達系の流れは「NADH/FADH₂ → 電子伝達 → H⁺のくみ出し → H⁺濃度勾配 → ATP合成酵素 → ATP」です。酸素が最終電子受容体であることが「呼吸に酸素が必要な理由」です。
グルコース1分子の呼吸で、解糖系とクエン酸回路の合計で10分子のNADHと2分子のFADH2が生じる。NADH 1分子あたり3 ATP、FADH2 1分子あたり2 ATPが電子伝達系で合成されるとして、以下を求めよ。
(1) 電子伝達系で合成されるATPの最大数。
(2) 呼吸全体(3段階合計)で合成されるATPの最大数。
(3) 呼吸全体のATPのうち、電子伝達系が占める割合(%、小数第1位まで)。
(1) 10 × 3 + 2 × 2 = 34 ATP
(2) 解糖系2 + クエン酸回路2 + 電子伝達系34 = 38 ATP
(3) 34 ÷ 38 × 100 = 89.5%
ATPの約90%が電子伝達系で合成されることがわかります。ミトコンドリアが「細胞の発電所」と呼ばれるのは、この圧倒的なATP合成能力のためです。
単離したミトコンドリアに、ある薬品Xを加えたところ、酸素の消費は続いたがATPの合成が停止した。薬品Xは内膜の脂質二重層に組み込まれ、H+を自由に通過させる性質をもつことがわかった。
(1) 薬品XによりATP合成が停止した理由を、「H⁺濃度勾配」「ATP合成酵素」の語を用いて50字以内で述べよ。
(2) 酸素の消費が続いた理由を30字以内で述べよ。
(1) 薬品XがH⁺を自由に通過させるためH⁺濃度勾配が消失し、ATP合成酵素を駆動するエネルギーがなくなったから。(49字)
(2) 電子伝達自体は濃度勾配に依存しないため、酸素への電子の受け渡しは続くから。(30字)
このような薬品を「脱共役剤」といいます。電子伝達系とATP合成を「共役」(連動)させているのがH⁺濃度勾配であり、脱共役剤はこの連動を断ち切ります。電子伝達自体は進むため酸素は消費されますが、エネルギーはATPではなく熱として放出されます。