第5章 代謝

呼吸②
─ 電子伝達系と酸化的リン酸化

解糖系とクエン酸回路で直接つくられるATPはわずか4分子。
では残りの34分子は?──その答えが、ミトコンドリア内膜で行われる「電子伝達系」です。
ここでは、NADHとFADH₂に蓄えられたエネルギーが、水力発電のようなしくみでATPに変換されます。

1電子伝達系とは ─ ミトコンドリア内膜の「発電所」

電子伝達系は、呼吸の第3段階であり、ミトコンドリアの内膜(クリステ)で行われます。 解糖系とクエン酸回路で生成されたNADHFADH2が、ここでATP合成のエネルギー源として利用されます。

電子伝達系では、NADHとFADH2から放出された電子が、内膜に埋め込まれた複数のタンパク質複合体を次々と受け渡されていきます。 まるでバケツリレーのように電子が「伝達」されるので、「電子伝達系」と呼ばれます。

最終的に、電子は酸素(O2に渡され、H+と結合して水(H2O)になります。 これが「呼吸に酸素が必要な理由」です──酸素は電子伝達系の最終的な電子受容体なのです。

2化学浸透 ─ 「水力発電」のしくみ

電子が伝達される過程で放出されるエネルギーは、H+(水素イオン)をマトリックスから膜間腔へくみ出すのに使われます。 その結果、膜間腔側にH+が高濃度にたまり、マトリックス側との間にH+濃度勾配(プロトン勾配)が形成されます。

このH+の濃度勾配は、ダムの上流と下流の水位差にたとえることができます。 たまったH+が濃度勾配に従ってATP合成酵素を通ってマトリックスに戻るとき、そのエネルギーでATPが合成されます。 ダムの水が落ちる力でタービンを回して発電するのと同じ原理です。

このしくみを化学浸透(化学浸透説、ミッチェルが提唱)といい、この方法でのATP合成を酸化的リン酸化といいます。

電子伝達系でATPが大量に合成できるのか
NADHとFADH2が電子を電子伝達系のタンパク質複合体に渡す
電子が次々と受け渡される過程で放出されるエネルギーで、H+が膜間腔へくみ出される
膜間腔にH+が蓄積し、マトリックスとの間にH+濃度勾配ができる
H+ATP合成酵素を通ってマトリックスに戻るとき、ATPが合成される(水力発電と同じ原理)
ポイント:電子伝達系のキーワード整理
  • 電子の供給源:NADH(1分子あたり約3 ATP)、FADH2(1分子あたり約2 ATP)
  • 電子の最終受容体:酸素(O2)→ 水(H2O)が生成
  • エネルギーの変換:電子のエネルギー → H+濃度勾配 → ATPの化学エネルギー
  • ATP合成のしくみ:化学浸透(酸化的リン酸化)
発展:ATP合成酵素は「回転するモーター」 生物

ATP合成酵素はF0部分(H+の通り道、内膜に埋まった回転部分)とF1部分(ATP合成の触媒部位、マトリックス側に突き出た部分)からなります。H+がF0を通過するとき、F0の一部が物理的に回転し、その回転がF1の構造変化を引き起こしてADPとリン酸からATPが合成されます。つまりATP合成酵素は、H+の流れで回転する「分子モーター」なのです。この回転は実験的にも確認されています。

3呼吸の全収支 ─ グルコース1分子から最大38 ATP

段階反応の場ATPNADHFADH2
解糖系細胞質基質220
ピルビン酸→アセチルCoAマトリックス020
クエン酸回路マトリックス262
電子伝達系内膜最大34
合計最大38

電子伝達系のATP合成数の内訳:NADH 10分子 × 約3 ATP = 30 ATP、FADH2 2分子 × 約2 ATP = 4 ATP、合計最大34 ATP。 これに解糖系(2 ATP)とクエン酸回路(2 ATP)を加えて、最大38 ATPがグルコース1分子から得られます。

ポイント:呼吸と燃焼の違い(再確認)
  • 燃焼:一気にエネルギー放出 → 大部分が
  • 呼吸:3段階で段階的に → エネルギーをATPに蓄える
  • 特に電子伝達系では、H+濃度勾配という「中間貯蔵」を経由することで、効率よくATPをつくれる

4呼吸商と呼吸基質 ─ 何を燃やしているかを知る

呼吸商(RQ)

生物がどの有機物を呼吸基質として使っているかは、呼吸商(RQ:respiratory quotient)で推定できます。 呼吸商は次の式で求めます。

RQ = CO2排出量 / O2消費量

呼吸基質呼吸商(RQ)
グルコース(糖質)1.0
脂肪約0.7
タンパク質約0.8

グルコースのRQが1.0なのは、C6H12O6 + 6O2 → 6CO2 + 6H2O より、CO2とO2の体積比が6:6=1.0だからです。 脂肪は水素の割合が多いため、完全に酸化するのにより多くの酸素を必要とし、RQは小さくなります。

脂肪・タンパク質の呼吸基質としての利用

呼吸基質はグルコースだけではありません。 脂肪β酸化という反応で脂肪酸が分解され、アセチルCoAとなってクエン酸回路に入ります。 脂肪は同じ質量のグルコースの約2倍のATPを生み出すため、効率のよいエネルギー貯蔵物質です。

タンパク質脱アミノ反応(アミノ基が外れる反応)によってアミノ酸から有機酸に変換され、ピルビン酸やクエン酸回路の中間体として呼吸に利用されます。 タンパク質は通常、糖質や脂肪が不足したときに呼吸基質として使われます。

ポイント:呼吸商と呼吸基質
  • 呼吸商(RQ)= CO2排出量 / O2消費量。呼吸基質の種類で値が変わる
  • グルコース=1.0、脂肪≒0.7、タンパク質≒0.8
  • 脂肪:β酸化→ アセチルCoA → クエン酸回路
  • タンパク質:脱アミノ反応→ 有機酸 → クエン酸回路

5この章を俯瞰する ─ 呼吸の全体像

この章と他の章のつながり

他の章へのつながりマップ

  • 発酵 → 5-4「発酵」:酸素がないとき、解糖系で生じたピルビン酸が酸素なしで処理される経路。電子伝達系が使えない場合の「非常用電源」。
  • 光合成 → 5-5「光合成①」:光合成のチラコイド膜でも電子伝達系とH+濃度勾配によるATP合成(光リン酸化)が起きる。原理は呼吸と共通。
  • ミトコンドリア → 4-2「細胞の構造」:クリステ(内膜のひだ)は表面積を増やして電子伝達系のタンパク質を多く配置するための構造。
  • ニューロン → 9-2「ニューロンと興奮の伝導」:ナトリウムポンプは大量のATPを消費する。脳のATP消費の大部分がここに使われる。

6まとめ

  • 電子伝達系ミトコンドリアの内膜で行われる呼吸の第3段階
  • NADH・FADH2から放出された電子がタンパク質複合体を次々と受け渡される
  • 電子伝達のエネルギーでH+が膜間腔にくみ出され、H+濃度勾配が形成される
  • H+ATP合成酵素を通って戻るときATPが合成される(化学浸透酸化的リン酸化
  • 電子の最終受容体は酸素(O2)→ (H2O)が生成
  • NADH 1分子あたり約3 ATP、FADH2 1分子あたり約2 ATP
  • グルコース1分子あたりの呼吸全体のATP:最大38分子
  • 呼吸商(RQ)= CO2排出量/O2消費量。グルコース=1.0、脂肪≒0.7、タンパク質≒0.8
  • 脂肪はβ酸化→アセチルCoA、タンパク質は脱アミノ反応→有機酸としてクエン酸回路に入る

7確認テスト

この節で学んだ基本事項を確認しましょう。

Q1

電子伝達系でATPが合成されるしくみを、「H⁺濃度勾配」「ATP合成酵素」の語を用いて説明せよ。

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解答

電子伝達のエネルギーでH⁺が膜間腔にくみ出されてH⁺濃度勾配が形成され、H⁺がATP合成酵素を通ってマトリックスに戻るときにATPが合成される。

Q2

呼吸で酸素が必要なのはどの段階か。酸素の役割を答えよ。

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解答

電子伝達系。酸素は電子伝達系の最終的な電子受容体として働き、電子とH⁺を受け取って水(H₂O)になる。

Q3

グルコース1分子あたり、呼吸全体で合成されるATPの最大数と、そのうち電子伝達系で合成される数を答えよ。

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解答

呼吸全体で最大38 ATP。そのうち電子伝達系で最大34 ATP(全体の約90%)。残りの4 ATPは解糖系(2)とクエン酸回路(2)で直接合成される。

8入試問題演習

この節で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

5-3-1A 基礎知識穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。

電子伝達系は( ア )で行われる。NADHやFADH2から放出された電子が次々と受け渡される過程で、( イ )が膜間腔にくみ出され、( イ )の( ウ )が形成される。( イ )が( エ )を通ってマトリックスに戻るとき、ATPが合成される。電子の最終的な受容体は( オ )であり、水が生成される。

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解答

ア:ミトコンドリアの内膜 イ:H+(水素イオン) ウ:濃度勾配 エ:ATP合成酵素 オ:酸素(O2

解説

電子伝達系の流れは「NADH/FADH₂ → 電子伝達 → H⁺のくみ出し → H⁺濃度勾配 → ATP合成酵素 → ATP」です。酸素が最終電子受容体であることが「呼吸に酸素が必要な理由」です。

B 標準レベル

5-3-2B 標準計算

グルコース1分子の呼吸で、解糖系とクエン酸回路の合計で10分子のNADHと2分子のFADH2が生じる。NADH 1分子あたり3 ATP、FADH2 1分子あたり2 ATPが電子伝達系で合成されるとして、以下を求めよ。

(1) 電子伝達系で合成されるATPの最大数。

(2) 呼吸全体(3段階合計)で合成されるATPの最大数。

(3) 呼吸全体のATPのうち、電子伝達系が占める割合(%、小数第1位まで)。

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解答

(1) 10 × 3 + 2 × 2 = 34 ATP

(2) 解糖系2 + クエン酸回路2 + 電子伝達系34 = 38 ATP

(3) 34 ÷ 38 × 100 = 89.5%

解説

ATPの約90%が電子伝達系で合成されることがわかります。ミトコンドリアが「細胞の発電所」と呼ばれるのは、この圧倒的なATP合成能力のためです。

C 発展レベル

5-3-3C 発展実験考察論述

単離したミトコンドリアに、ある薬品Xを加えたところ、酸素の消費は続いたがATPの合成が停止した。薬品Xは内膜の脂質二重層に組み込まれ、H+を自由に通過させる性質をもつことがわかった。

(1) 薬品XによりATP合成が停止した理由を、「H⁺濃度勾配」「ATP合成酵素」の語を用いて50字以内で述べよ。

(2) 酸素の消費が続いた理由を30字以内で述べよ。

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解答

(1) 薬品XがH⁺を自由に通過させるためH⁺濃度勾配が消失し、ATP合成酵素を駆動するエネルギーがなくなったから。(49字)

(2) 電子伝達自体は濃度勾配に依存しないため、酸素への電子の受け渡しは続くから。(30字)

解説

このような薬品を「脱共役剤」といいます。電子伝達系とATP合成を「共役」(連動)させているのがH⁺濃度勾配であり、脱共役剤はこの連動を断ち切ります。電子伝達自体は進むため酸素は消費されますが、エネルギーはATPではなく熱として放出されます。

採点ポイント((1)の論述・6点満点の場合)
  • H⁺が自由に通過してH⁺濃度勾配が消失することに言及(3点)
  • ATP合成酵素を駆動できなくなることに言及(3点)