第6章 遺伝情報の発現

遺伝子の発現調節
─ 転写因子とエピジェネティクス

あなたの体の細胞は、すべて同じDNAをもっています。
それなのに、神経細胞と筋細胞と皮膚細胞はまったく違う形と機能をもつ──なぜでしょうか。
答えは、どの遺伝子を「使うか使わないか」の制御にあります。

1選択的遺伝子発現 ─ 「同じ辞書を使い分ける」

多細胞生物のすべての体細胞は、受精卵から細胞分裂で生じたものであり、同じゲノム(DNA全体)をもっています。 しかし、神経細胞では神経に必要な遺伝子が、筋細胞では筋肉に必要な遺伝子が発現しています。

つまり、すべての細胞は「同じ辞書」をもっていますが、開くページが違うのです。 このように、細胞の種類に応じて特定の遺伝子だけが発現することを選択的遺伝子発現といいます。 細胞の分化の本質は、この選択的遺伝子発現にあります。

同じDNAをもつ細胞が異なる形態と機能をもつのか
すべての体細胞は同じゲノム(約2万個の遺伝子)をもつ
しかし、各細胞では一部の遺伝子だけが転写・翻訳される(選択的遺伝子発現)
どの遺伝子が発現するかによって、合成されるタンパク質の種類が異なる
タンパク質の違いが形態と機能の違いを生む → 細胞の分化

2原核生物の転写調節 ─ オペロン

原核生物(大腸菌など)の遺伝子発現調節の代表例がオペロンです。 大腸菌のラクトースオペロンlacオペロン)を例に見てみましょう。

lacオペロンのしくみ

  • ラクトース(乳糖)がないとき:リプレッサー(抑制タンパク質)がオペレーターに結合し、RNAポリメラーゼの進行を妨げる → 転写OFF
  • ラクトースがあるとき:ラクトースがリプレッサーに結合してリプレッサーの形を変え、オペレーターから外れる → RNAポリメラーゼが進行 → 転写ON

つまり、必要なときだけ必要な酵素をつくるという合理的なしくみです。 不要なタンパク質をつくらないことで、エネルギーを節約しています。

ポイント:lacオペロンの構成要素
  • プロモーター:RNAポリメラーゼが結合する場所
  • オペレーター:リプレッサーが結合する場所(プロモーターの近く)
  • 構造遺伝子:ラクトース分解酵素をコードする遺伝子群
  • 調節遺伝子:リプレッサーをコードする遺伝子

3真核生物の転写調節 ─ 転写因子とエピジェネティクス

基本転写因子とエンハンサー

真核生物では、転写因子と呼ばれるタンパク質がDNAの特定の配列に結合して、RNAポリメラーゼの働きを促進または抑制します。 どの転写因子が存在するかによって、どの遺伝子が発現するかが決まります。

真核生物のRNAポリメラーゼは、単独ではプロモーターに結合できません。 まず基本転写因子がプロモーターに結合し、RNAポリメラーゼを呼び込むことで転写が開始されます。 さらに、遺伝子から離れた位置にあるエンハンサーという調節配列に転写活性化因子が結合すると、DNAがループ状に曲がって転写装置と接触し、転写効率が大きく促進されます。 エンハンサーは遺伝子の上流・下流のどちらにあってもはたらくのが特徴です。

エピジェネティクス

DNA配列自体を変えずに遺伝子の発現を制御するしくみをエピジェネティクスといいます。 おもな方法は以下の2つです。

  • DNAのメチル化:DNAの塩基にメチル基(-CH3)が付加されると、その領域の遺伝子は転写されにくくなる
  • ヒストンの修飾:DNAが巻きついているヒストンタンパク質のアセチル化・メチル化などにより、DNAの巻きつき具合が変わり、転写のしやすさが変化する

がん遺伝子とがん抑制遺伝子

遺伝子発現調節の異常は、がんの発生に深く関わっています。

  • がん原遺伝子:正常な細胞にもある遺伝子で、細胞増殖を促進するタンパク質をコードしている。突然変異によって異常に活性化されるとがん遺伝子となり、細胞を無秩序に増殖させる
  • がん抑制遺伝子:細胞の増殖を抑制するタンパク質をコードしている遺伝子。代表例はp53で、DNAの損傷を感知して細胞周期を停止させたり、修復不能な場合は細胞死(アポトーシス)を誘導する。この遺伝子が変異で機能を失うと、異常な細胞が増殖しやすくなる

がんの発生には、通常複数の遺伝子の変異が蓄積する必要があります(多段階発がん)。

発展:ホメオティック遺伝子(Hox遺伝子) 生物

動物の体の前後軸に沿った体節構造(頭・胸・腹など)を決める遺伝子群をホメオティック遺伝子(Hox遺伝子)といいます。Hox遺伝子は転写因子をコードしており、下流の多くの遺伝子の発現をまとめて制御します。Hox遺伝子の変異は、たとえばショウジョウバエの触角の位置に脚が生える(触角→脚の変換)といった劇的な形態変化を引き起こします。Hox遺伝子は動物界で広く保存されており、発生学(第7章)で詳しく学びます。

4この章を俯瞰する ─ 第6章の総まとめ

第6章の5本の記事で、セントラルドグマ(DNA→RNA→タンパク質)の全体像と、その発現調節のしくみを学びました。 遺伝子の発現調節は、細胞の分化、発生、さらには進化の基盤です。

この章と他の章のつながり

他の章へのつながりマップ

  • 発生と遺伝子発現 → 7-4:発生の過程で遺伝子発現が段階的に変化し、細胞が分化していく。
  • バイオテクノロジー → 8-1, 8-2:遺伝子組換え技術やゲノム編集は、遺伝子発現の人為的な操作。
  • ホルモン → 11-1「植物ホルモン」:ホルモンが受容体に結合 → 転写因子の活性化 → 遺伝子発現の変化。
  • 突然変異 → 2-1:調節領域の変異は遺伝子の発現パターンを変え、形態進化の原動力となりうる。

5まとめ

  • 選択的遺伝子発現:同じDNAをもつ細胞が、発現する遺伝子を変えることで異なる形態・機能をもつ
  • 原核生物:オペロン(lacオペロン)。リプレッサーがオペレーターに結合/離脱して転写ON/OFFを切り替え
  • 真核生物:基本転写因子がプロモーターに結合 → RNAポリメラーゼを呼び込む。エンハンサーが転写を促進
  • エピジェネティクス:DNA配列を変えずに発現を制御。DNAのメチル化ヒストンの修飾
  • がん原遺伝子が変異 → がん遺伝子がん抑制遺伝子p53など)の変異 → がんのリスク増加
  • ホメオティック遺伝子(Hox遺伝子):体の基本構造を決める転写因子群

6確認テスト

この節で学んだ基本事項を確認しましょう。

Q1

同じDNAをもつ細胞が異なる形態・機能をもつ理由を「選択的遺伝子発現」の語を用いて述べよ。

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解答

細胞の種類に応じて異なる遺伝子が選択的に発現する(選択的遺伝子発現)ため、合成されるタンパク質の種類が異なり、形態と機能が変わる。

Q2

lacオペロンにおいて、ラクトースが存在するときに転写がONになるしくみを簡潔に述べよ。

▶ クリックして解答を表示
解答

ラクトースがリプレッサーに結合して形を変え、リプレッサーがオペレーターから外れるため、RNAポリメラーゼが構造遺伝子を転写できるようになる。

Q3

エピジェネティクスの2つのおもな方法を答えよ。

▶ クリックして解答を表示
解答

①DNAのメチル化(メチル基の付加で転写抑制)、②ヒストンの修飾(アセチル化・メチル化でDNAの巻きつき具合を変え転写を調節)。どちらもDNA配列自体は変えない。

7入試問題演習

この節で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

6-5-1A 基礎知識穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。

大腸菌の( ア )オペロンでは、ラクトースがないとき( イ )がオペレーターに結合して転写を抑制する。ラクトースがあると( イ )がオペレーターから外れ、転写がONになる。真核生物では、DNAの特定の配列に結合して転写を制御するタンパク質を( ウ )という。DNA配列を変えずに発現を制御するしくみを( エ )といい、DNAの( オ )がその一例である。

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解答

ア:lac(ラクトース) イ:リプレッサー ウ:転写因子 エ:エピジェネティクス オ:メチル化

解説

lacオペロンは原核生物の遺伝子発現調節の代表例です。真核生物では転写因子によるより複雑な調節が行われ、エピジェネティクスによるDNAの化学修飾も重要な役割を果たします。

B 標準レベル

6-5-2B 標準論述

(1) 多細胞生物のすべての体細胞が同じDNAをもつにもかかわらず、細胞分化が起きる理由を「転写因子」の語を用いて50字以内で述べよ。

(2) lacオペロンのしくみが大腸菌にとって合理的である理由を「エネルギー」の語を用いて30字以内で述べよ。

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解答

(1) 細胞の種類ごとに異なる転写因子が存在し、それぞれ異なる遺伝子の転写を活性化することで異なるタンパク質が合成されるから。(50字)

(2) 不要なタンパク質をつくらないことでエネルギーを節約できるから。(30字)

解説

(1) 同じDNAでも「読むページ」が異なれば異なるタンパク質がつくられます。転写因子の組み合わせが「どのページを読むか」を決めています。

(2) ラクトースがない環境で分解酵素をつくるのはエネルギーの無駄遣いです。必要なときだけつくるのが合理的です。

採点ポイント((1)の論述・6点満点の場合)
  • 転写因子が異なる遺伝子を活性化することに言及(3点)
  • 異なるタンパク質が合成されることに言及(3点)