第2章 進化のしくみ

分子進化と分子時計
─ DNAが刻む「進化の時計」

化石がなくても、2つの生物がいつ共通祖先から分かれたかを推定できる方法があります。
その鍵は、DNAやタンパク質の塩基配列・アミノ酸配列の違いを「数える」こと。
中立な変異がほぼ一定の速度で蓄積するという性質が、進化の「時計」として使えるのです。

1分子進化とは ─ DNAとタンパク質に刻まれた進化の痕跡

DNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列は、時間とともに少しずつ変化します。 突然変異によって塩基が置換され、それが集団に固定されていく──この分子レベルでの変化の蓄積を分子進化といいます。

共通祖先から分かれてからの時間が長い生物どうしほど、塩基配列やアミノ酸配列の違いが大きくなります。 たとえば、ヘモグロビンα鎖のアミノ酸配列を比較すると、ヒトとゴリラではわずか1個しか違いませんが、ヒトとサメでは79個もの違いがあります。

2分子時計 ─ 一定のリズムで時を刻む

さまざまな生物間でアミノ酸の置換数を縦軸に、化石記録から推定された分岐年代を横軸にとると、両者の間にはおおよそ直線関係があることがわかります。

これは、中立な変異がほぼ一定の速度で蓄積していくことを意味しています。 まるで時計の針が一定のリズムで進むように、分子レベルの変化が時を刻んでいるのです。 この考え方を分子時計といいます。

分子時計が「一定の速度」で進むのか
分子レベルの変異の大部分は中立であり、自然選択の影響を受けない(2-4参照)
中立な変異の固定速度は突然変異率のみに依存し、集団サイズに依存しない
突然変異率はDNA複製のエラー率に依存し、生物種や時代で大きくは変わらない
結果として、中立な変異はほぼ一定の速度で蓄積していく

分子時計の使い方

分子時計を使えば、化石記録がない場合でも、2つの生物の分岐年代を推定できます。 たとえば、化石から「ヒトとウシが約8000万年前に分岐した」ことがわかっていれば、ヒトとウシのアミノ酸の違いの数を基準にして、他の生物との分岐年代を計算できます。

ポイント:分子時計の使い方(計算の流れ)
  • ステップ1:化石データのある2種間で「分岐年代」と「アミノ酸置換数」の比率を求める
  • ステップ2:その比率を使い、化石データのない2種間の分岐年代を推定する
  • 例:ヒト-ウシ間で80個の置換 / 8000万年 = 1置換あたり100万年。ヒト-X種間で40個の置換 → 約4000万年前に分岐と推定

3分子進化の速度はタンパク質によって異なる

分子時計は「一定速度」といっても、すべてのタンパク質が同じ速度で進化するわけではありません。 タンパク質の種類によって進化速度が大きく異なります。

タンパク質関連する機能変化率(10億年あたり)
ヒストンH4染色体の構成0.01(きわめて遅い)
シトクロムc電子伝達系0.3
ヘモグロビンα鎖酸素の運搬1.2
フィブリノペプチド血液凝固8.3(非常に速い)

この違いはなぜ生じるのでしょうか。答えは機能的制約にあります。

ヒストンH4はフィブリノペプチドより進化速度が遅いのか
ヒストンH4はDNAの折りたたみという全生物に共通する重要な機能を担う
アミノ酸がわずかに変わるだけで機能が失われる(機能的制約が強い)
非同義置換(アミノ酸が変わる変異)のほとんどが自然選択で排除される
結果として、中立な変異として固定できる変異が非常に少ない → 進化速度が遅い

逆に、フィブリノペプチドは血液凝固後に切り離される部分であり、機能的制約がほとんどないため、ほぼすべての変異が中立として蓄積し、進化速度が速くなります。

発展:進化速度の違いを暗記に活かす 生物

タンパク質の進化速度は「機能が重要なほど遅い」と覚えましょう。ヒストンH4は全真核生物で染色体構成に使われるため最も保存的(進化が遅い)。シトクロムcは電子伝達系という重要な反応に関わるのでやや遅い。ヘモグロビンは酸素運搬に重要だが一部のアミノ酸変化は許容されるので中程度。フィブリノペプチドは凝固後に切り捨てられるので機能的制約がほぼなく最速。この順序は入試で頻出です。

4この章を俯瞰する ─ 第2章の総まとめ

第2章の6つの記事で、進化のしくみの全体像を学びました。 最後に、分子時計が可能にする「進化の歴史の復元」について整理しておきましょう。

分子時計は、化石記録が不完全な生物群の分岐年代を推定する強力なツールです。 DNAやアミノ酸配列の比較データから作成される系統樹を分子系統樹といい、第3章で学ぶ生物の系統分類に広く利用されています。

この章と他の章のつながり

他の章へのつながりマップ

  • 系統樹 → 3-1「生物の分類と系統樹」:分子データ(DNA配列の比較)を使って系統樹を作成する方法を学ぶ。
  • 人類の進化 → 3-4「人類の起源と進化」:分子時計を使ってヒトとチンパンジーの分岐年代(約700万年前)が推定された。
  • 中立進化 → 2-4「遺伝的浮動と中立進化」:分子時計の理論的基盤は木村資生の分子進化の中立説にある。
  • タンパク質 → 4-4「タンパク質の構造」:タンパク質の立体構造と機能的制約が、分子進化の速度を決める。

5まとめ

  • 分子進化=DNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列が時間とともに変化すること
  • 共通祖先から分かれてからの時間が長い生物ほど、配列の違いが大きい
  • 分子時計=中立な変異がほぼ一定の速度で蓄積する性質を利用して分岐年代を推定する方法
  • 分子系統樹=DNAやアミノ酸配列の比較データから作成される系統樹
  • 分子進化の速度はタンパク質によって異なる:機能的制約が強いほど遅い
  • 速度の順:フィブリノペプチド(8.3) > ヘモグロビン(1.2) > シトクロムc(0.3) > ヒストンH4(0.01)
  • 分子時計の理論的基盤は分子進化の中立説(木村資生)

6確認テスト

この節で学んだ基本事項を確認しましょう。

Q1

「分子時計」の考え方を簡潔に説明せよ。

▶ クリックして解答を表示
解答

中立な変異がほぼ一定の速度で蓄積するため、2つの生物間の塩基配列やアミノ酸配列の違いの数から、共通祖先からの分岐年代を推定できるという考え方です。

Q2

ヒストンH4の進化速度がフィブリノペプチドより遅い理由を述べよ。

▶ クリックして解答を表示
解答

ヒストンH4はDNAの折りたたみという重要な機能を担うため、アミノ酸の変化がほとんど許容されない(機能的制約が強い)。一方フィブリノペプチドは凝固後に切り捨てられるため機能的制約がほぼなく、ほとんどの変異が中立として固定されるからです。

7入試問題演習

この節で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

2-6-1A 基礎選択

分子進化に関する記述として誤っているものを1つ選べ。

  • ① 共通祖先から分かれてからの時間が長い生物間ほど、アミノ酸配列の違いが大きい。
  • ② すべてのタンパク質は同じ速度で分子進化する。
  • ③ 機能的制約が強いタンパク質ほど、分子進化の速度が遅い。
  • ④ 分子時計は、化石記録がない場合の分岐年代の推定に利用できる。
▶ クリックして解答・解説を表示
解答

解説

②が誤りです。タンパク質の種類によって分子進化の速度は大きく異なります。機能的制約が強いタンパク質(ヒストンH4など)は遅く、制約が弱いタンパク質(フィブリノペプチドなど)は速く進化します。①③④はすべて正しい記述です。

B 標準レベル

2-6-2B 標準計算

ヘモグロビンα鎖のアミノ酸配列を比較したところ、以下の結果が得られた。分子時計を用いて問いに答えよ。

比較した2種アミノ酸の違いの数分岐年代(化石記録)
ヒトとウシ18個約9000万年前
ヒトとニワトリ36個(不明)

(1) ヘモグロビンα鎖で1個のアミノ酸置換が起きるのに要する時間は何万年か。

(2) ヒトとニワトリが共通祖先から分岐したのはおよそ何億年前と推定されるか。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) 9000万年 ÷ 18個 = 500万年/個

(2) 500万年 × 36個 = 18000万年 = 約1.8億年前

解説

(1) ヒトとウシの分岐年代(9000万年前)とアミノ酸置換数(18個)から、1置換あたりの時間を求めます。9000 ÷ 18 = 500万年。つまりヘモグロビンα鎖では約500万年に1個のアミノ酸置換が蓄積する計算です。

(2) ヒトとニワトリのアミノ酸の違いは36個なので、500万年 × 36 = 1億8000万年前に分岐したと推定されます。これは中生代のジュラ紀に相当し、哺乳類と鳥類の分岐年代として妥当な値です。

C 発展レベル

2-6-3C 発展論述

(1) ヒストンH4とフィブリノペプチドのうち、分子時計として生物間の近い分岐年代を推定するのに適しているのはどちらか。理由とともに50字以内で述べよ。

(2) 分子時計の理論的基盤となっている仮説の名称と提唱者を答え、その仮説の内容を40字以内で述べよ。

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解答

(1) フィブリノペプチド。進化速度が速いため、短い時間で十分なアミノ酸置換が蓄積し、近い分岐年代の推定に適するから。(50字)

(2) 名称:分子進化の中立説。提唱者:木村資生。内容:分子レベルの進化の大部分は中立な変異の遺伝的浮動による固定である。(39字)

解説

(1) 進化速度の遅いヒストンH4は、近縁な生物間ではアミノ酸の違いがほとんどなく、分岐年代の推定に使えません。逆に、進化速度の速いフィブリノペプチドなら短期間で十分な置換が蓄積するため、近い分岐年代の推定に適しています。一方、遠縁の生物間(例:ヒトと細菌)の分岐年代推定には、進化速度の遅いヒストンH4のほうが適しています。

(2) 木村資生は1968年に中立説を発表しました。形態レベルの進化は自然選択が主役ですが、分子レベルの進化の大部分は中立な変異の偶然的な固定(遺伝的浮動)によるという画期的な理論でした。

採点ポイント((1)の論述・6点満点の場合)
  • フィブリノペプチドを選択(2点)
  • 進化速度が速いことに言及(2点)
  • 短期間で十分な置換が蓄積することに言及(2点)