過酸化水素水にレバーの切片を入れると、激しく泡が出ます。
同じ反応が試験管の中では何時間もかかるのに、レバーでは一瞬──この魔法のような加速を行っているのが酵素です。
酵素は「何でも屋」ではなく、1つの反応だけを専門に担当する「専門家」です。
酵素とは、生体内で化学反応の速度を加速する触媒です。 酵素自体は反応の前後で変化しないため、少量の酵素でくり返しはたらくことができます。
酵素のほとんどはタンパク質でできています。 前の記事(4-4)で学んだ「構造が機能を決める」という原則がここでも働いています──酵素の立体構造が、どの化学反応を加速するかを決めているのです。
酵素がないと、生体内の化学反応のほとんどは体温という穏やかな条件下では進みません。 工場で高温・高圧にしなければ起きない反応を、酵素は体温・常圧という条件でスムーズに進めてくれます。
酵素は特定の物質にしか作用しません。 酵素が作用する相手の物質を基質といい、酵素が特定の基質にしか作用しない性質を基質特異性といいます。
これは酵素の活性部位(活性中心)の形が、特定の基質の形と一致するためです。 ちょうど「鍵と鍵穴」のように、合う形の基質だけが活性部位に結合して反応が進みます。 合わない形の分子は結合できず、反応も起きません。
酵素の反応速度は温度によって変化します。 温度が上がると分子の運動が活発になり、基質と酵素の衝突頻度が増えて反応速度は上がります。 しかし、ある温度を超えるとタンパク質が変性して活性部位の形が壊れ、反応速度は急激に低下します。
反応速度が最大になる温度を最適温度といいます。 ヒトの酵素の多くは約37℃(体温付近)が最適温度です。
酵素の反応速度はpHによっても変化します。 pHが変わるとアミノ酸の側鎖の電荷が変化し、立体構造に影響するためです。 反応速度が最大になるpHを最適pHといいます。
| 酵素 | 基質 | 最適pH | はたらく場所 |
|---|---|---|---|
| ペプシン | タンパク質 | 約2(酸性) | 胃 |
| アミラーゼ | デンプン | 約7(中性) | 口腔(唾液) |
| トリプシン | タンパク質 | 約8(弱塩基性) | 小腸 |
| カタラーゼ | 過酸化水素 | 約7(中性) | ほぼすべての細胞 |
酵素の反応速度を低下させる物質を阻害剤といいます。競争的阻害(競争阻害)では、阻害剤が基質と似た形をしており活性部位に結合して基質の結合を妨げます。代表例はコハク酸脱水素酵素とマロン酸の関係です。マロン酸はコハク酸(基質)に構造が似ているため、活性部位に結合して酵素反応を阻害します。基質の濃度を上げれば阻害を克服できます。非競争阻害では、阻害剤が活性部位以外の場所に結合して酵素の立体構造を変え、基質が結合しても反応が進まなくなります。基質の濃度を上げても克服できません。この2つの違いは入試で頻出です。
一部の酵素は、活性部位とは別に調節部位(アロステリック部位)をもっています。 この調節部位に特定の物質が結合すると、酵素の立体構造が変化して、活性部位での反応速度が促進または抑制されます。 このような酵素をアロステリック酵素といいます。
アロステリック酵素は、代謝経路の自動調節に重要な役割を果たしています。 ある代謝経路の最終生成物が、その経路の最初のほうのアロステリック酵素を阻害することがあります。 これをフィードバック調節(フィードバック阻害)といいます。 最終生成物が十分にたまると経路の入り口が閉まり、不足すると入り口が開く──こうして代謝経路が自動的に調節されるのです。
酵素のなかには、タンパク質部分だけでは触媒活性を発揮できず、低分子の有機物が結合してはじめてはたらくものがあります。 この低分子の有機物を補酵素(コエンザイム)といいます。 タンパク質部分をアポ酵素、アポ酵素に補酵素が結合した完全な酵素をホロ酵素といいます。
代表的な補酵素には、呼吸で学ぶNAD+やFADがあります。 これらは基質から水素(電子)を受け取ってNADHやFADH2となり、電子伝達系にエネルギーを運びます。 補酵素の多くはビタミンから合成されるため、ビタミン不足が代謝異常を引き起こす理由もここにあります。
細胞内の酵素は一様に分布しているのではなく、それぞれ特定の場所に存在しています。 呼吸に関する酵素群はミトコンドリアに、光合成に関する酵素群は葉緑体に存在します。
酵素が細胞内の特定の場所に配置されていることで、多数の連続する化学反応(代謝経路)が秩序立てて行われます。 まるで工場の流れ作業のように、前の工程の産物が次の工程の基質になるのです。
酵素はタンパク質であり、その立体構造が基質特異性を決めます。 タンパク質の構造(4-4)が酵素の機能を決め、酵素が代謝(第5章)を支える──この流れを押さえておきましょう。
この節で学んだ基本事項を確認しましょう。
「基質特異性」とは何か。「活性部位」の語を用いて説明せよ。
酵素が特定の基質にしか作用しない性質のこと。酵素の活性部位の立体構造が特定の基質の形と一致するため、その基質だけが活性部位に結合して反応が進む(鍵と鍵穴の関係)。
最適温度を超えると酵素の反応速度が急激に低下する理由を述べよ。
酵素はタンパク質なので、高温になると変性して立体構造が壊れ、活性部位の形が変わって基質と結合できなくなるためです。
ペプシンとトリプシンはどちらもタンパク質を分解する酵素だが、最適pHが異なる。それぞれの最適pHとはたらく場所を答えよ。
ペプシン:最適pH約2(酸性)、胃ではたらく。トリプシン:最適pH約8(弱塩基性)、小腸ではたらく。それぞれの場所のpH環境に合わせて最適pHが異なります。
この節で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。
酵素はおもに( ア )でできた生体内の( イ )であり、特定の( ウ )にしか作用しない性質を( エ )という。酵素が( ウ )と結合する部位を( オ )という。
ア:タンパク質 イ:触媒 ウ:基質 エ:基質特異性 オ:活性部位(活性中心)
酵素の基本用語を問う問題です。触媒は反応速度を加速するが自身は変化しない物質のこと。基質特異性は活性部位の立体構造が基質の形と一致することに由来します。
過酸化水素水に以下の4種類の試料を加え、酸素の発生を観察した。
| 試験管 | 試料 | 結果 |
|---|---|---|
| A | 生のレバー片 | 激しく泡が発生 |
| B | 煮沸したレバー片 | 泡はほとんど発生しない |
| C | 酸化マンガン(IV) | 泡が発生 |
| D | 何も加えない | 泡はほとんど発生しない |
(1) 試験管Aで泡が発生したのはなぜか。酵素名を示して答えよ。
(2) 試験管Bで泡がほとんど発生しなかった理由を「変性」の語を用いて30字以内で述べよ。
(3) 試験管Cの酸化マンガン(IV)も触媒としてはたらくが、酵素(カタラーゼ)との違いを「基質特異性」の語を用いて述べよ。
(1) レバーに含まれるカタラーゼが過酸化水素の分解(2H2O2 → 2H2O + O2)を触媒し、酸素が発生したため。
(2) 煮沸によりカタラーゼが変性し、触媒活性を失ったから。(25字)
(3) カタラーゼは過酸化水素だけに作用する基質特異性をもつが、酸化マンガン(IV)は無機触媒であり基質特異性をもたない。
(1) カタラーゼは過酸化水素を水と酸素に分解する酵素で、肝臓(レバー)に多く含まれます。
(2) 酵素はタンパク質なので、煮沸(100℃)で変性して立体構造が壊れ、基質と結合できなくなります。
(3) 酸化マンガン(IV)も過酸化水素の分解を加速しますが、これは無機触媒であり、酵素のような基質特異性はもちません。酵素の基質特異性は活性部位の立体構造に由来するため、タンパク質でない無機触媒にはこの性質がありません。
ある酵素Xの反応速度を、基質濃度を変えて測定した。通常条件と、阻害剤Pを加えた条件の2つで実験したところ、以下の結果が得られた。
(1) 阻害剤Pによる阻害は、競争阻害と非競争阻害のどちらか。理由とともに答えよ。
(2) 競争阻害の阻害剤が酵素のどこに結合するか、また基質濃度を上げると阻害を克服できる理由を50字以内で述べよ。
(1) 競争阻害。最大反応速度が変わらず、基質濃度を上げれば阻害を克服できる(同じ最大反応速度に達する)ことが根拠。非競争阻害では最大反応速度自体が低下する。
(2) 競争阻害剤は活性部位に結合するが、基質濃度を上げると基質が阻害剤に競り勝って活性部位に結合する確率が高まるから。(50字)
(1) 競争阻害では阻害剤が活性部位に結合して基質と「競争」します。基質を十分多くすれば阻害剤を追い出せるので、最大反応速度は変わりません。非競争阻害では阻害剤が活性部位以外に結合して酵素の構造を変えるため、基質をいくら増やしても最大反応速度は低下します。
(2) 競争阻害剤は基質と形が似ており、活性部位への結合をめぐって基質と「椅子取りゲーム」をしています。基質の量を増やせば、確率的に基質が活性部位に結合する機会が増えます。