胚の中の細胞は、自分だけで運命を決めるのではなく、隣の細胞からの「指示」を受けて分化します。
この「細胞間の指示」のしくみを初めて明らかにしたのが、シュペーマンの形成体の実験です。
発生学における最も重要な発見の1つを見ていきましょう。
胞胚期の各領域が、正常な発生で何に分化するかを示した地図を予定運命図(原基分布図)といいます。 では、この「予定運命」は、いつ「確定」するのでしょうか。
シュペーマンは、イモリの胚の予定外胚葉域(将来表皮になる領域)と予定神経域(将来神経になる領域)を入れ替える移植実験を行いました。
つまり、初期原腸胚ではまだ細胞の運命が変更可能ですが、神経胚では運命が決定されています。 この運命が変更不能になることを決定(determination)といいます。
シュペーマンとマンゴールドは、さらに衝撃的な実験を行いました。 イモリの初期原腸胚の原口背唇部(将来脊索になる領域)を別の胚の腹側に移植したところ、移植片は脊索に分化しただけでなく、周囲の宿主の細胞にはたらきかけて、完全な「二次胚」をつくらせたのです。
つまり、原口背唇部は自分自身が分化するだけでなく、周囲の未分化な細胞に「指示」を出して、神経管や体節などの器官をつくらせる能力をもっていたのです。
シュペーマンは、このようなはたらきをもつ胚の領域を形成体(オーガナイザー)と名付けました。 形成体が周囲の細胞にはたらきかけて分化を引き起こす現象を誘導といいます。
誘導は1回限りではなく、連鎖的に起きます。 ある組織が別の組織を誘導し、誘導された組織がまた別の組織を誘導する──まるで「ドミノ倒し」のように進みます。
代表的な例が眼の形成です。
もし最初の誘導が起きなければ、それ以降の連鎖もすべて起きず、眼は形成されません。
ニューコープは、両生類の胚において、内胚葉(植物極側の細胞)が外胚葉にはたらきかけて中胚葉を誘導することを発見しました(中胚葉誘導)。 のちに、この誘導のシグナル分子としてアクチビン(TGF-βファミリーのタンパク質)が同定されました。 アクチビンの濃度の違いによって、誘導される中胚葉の種類(脊索、筋肉、血球など)が変わることが示されています。
胚の一部を除去したり分離したりしたとき、残りの部分が失われた領域を補って正常に発生できる卵を調節卵といいます。 ウニやイモリの卵は調節卵であり、たとえば2細胞期の割球を分離しても、それぞれが正常な個体に発生できます(ただし小さくなる)。
一方、割球を分離すると各割球がもとの位置に対応した部分だけに発生し、正常な個体にならない卵をモザイク卵といいます。 クシクラゲ(有櫛動物)の卵はモザイク卵の典型例です。 モザイク卵では、母性因子が卵割によって特定の割球に偏って分配され、各割球の運命が早い段階で決定されるため、調節能力が低いと考えられています。
誘導のしくみは、形成体から放出されるシグナル分子(タンパク質)が、周囲の細胞の受容体に結合し、細胞内のシグナル伝達経路を活性化して転写因子の活性を変え、遺伝子発現パターンを変化させる──というものです(4-7「細胞間の情報伝達」で学んだしくみと同じ原理)。形成体のシグナルとしては、ノーダル、BMP阻害因子(コーディン、ノギンなど)が知られています。
発生の過程は、細胞が一方的にプログラムに従うのではなく、周囲の細胞との「対話」(誘導のやりとり)によって進みます。形成体が最初の「号令」をかけ、そこから誘導の連鎖が広がって、複雑な体がつくられていくのです。
この節で学んだ基本事項を確認しましょう。
「形成体」(オーガナイザー)とは何か。「原口背唇部」「誘導」の語を用いて述べよ。
原口背唇部に相当する胚の領域で、周囲の未分化な細胞にシグナル分子を送り、誘導によって神経管や体節などの器官形成を引き起こすはたらきをもつ。
シュペーマンとマンゴールドの実験で、形成体を別の胚の腹側に移植したときに何が起きたか答えよ。
移植した形成体が周囲の宿主の細胞に誘導シグナルを送り、神経管・脊索・体節をもつ完全な二次胚が形成された。
眼の形成における「誘導の連鎖」を3段階で述べよ。
①脳の一部が突出して眼杯(将来の網膜)を形成。②眼杯が表皮を誘導して水晶体(レンズ)に分化させる。③水晶体がさらに表皮を誘導して角膜に分化させる。
この節で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。
シュペーマンとマンゴールドは、イモリの初期原腸胚の( ア )を別の胚に移植し、( イ )が形成されることを発見した。この( ア )を( ウ )(オーガナイザー)と名付けた。( ウ )が周囲の細胞にはたらきかけて分化を引き起こす現象を( エ )という。( エ )は連鎖的に起き、眼の形成では眼杯が表皮を( エ )して( オ )に分化させる。
ア:原口背唇部 イ:二次胚 ウ:形成体 エ:誘導 オ:水晶体
シュペーマンとマンゴールドの形成体実験(1924年)は発生学の最も重要な実験の1つです。形成体が放出するシグナル分子が周囲の細胞の遺伝子発現を変え、器官形成を引き起こします。
(1) シュペーマンの移植実験で、初期原腸胚では移植片が移植先の運命に従ったのに対し、神経胚では従わなかった。この違いが示す発生学的な意味を「決定」の語を用いて40字以内で述べよ。
(2) 形成体の誘導が分子レベルではどのようなしくみで起きるか。「シグナル分子」「遺伝子発現」の語を用いて50字以内で述べよ。
(1) 初期原腸胚では細胞の運命が未確定だが、神経胚では運命が決定されて変更できなくなっている。(43字)
(2) 形成体からシグナル分子が放出され、周囲の細胞の受容体に結合して遺伝子発現パターンを変化させ分化を引き起こす。(50字)
(1) 「決定」とは発生運命が変更不能になることです。発生が進むにつれて決定が起き、細胞の「可塑性」が失われていきます。
(2) 誘導の分子的しくみは、4-7「細胞間の情報伝達」で学んだシグナル分子-受容体のしくみと同じ原理です。